会葬者、近親者の心得にいたってはこの通り。最親喪者は神葬なれば誄(俗にのりと)仏式なれば読経の終った時、係員の報知によって席を離れ、玉串を捧げ、又は焼香を為し、さて次々に会葬者の拝礼等が済んで、それ等の人々が退散の時出口に立って一々無言のまゝ礼を施し、式場係上席の人は簡単に会葬の礼辞を言ひ、ここで大概は帰途に就き、近親と親友等が埋葬に従ふのであります。尤も近頃は火葬にするのが多くなりましたから、この場合には寺院とか自宅で告別式を挙行し、そして火葬場へ行きます。この告別式は、前述の通りを行ふものでありますからその心であれば大差はありません。(同前)それだけかい。火葬も告別式もすでに一般化していたのだなということはわかるけれども、現在のマニュアルのように、焼香の回数とか、香典の額といったうるさいことは何も書いていない。「前述の通り」といったところで、前述とは「係員の報知によって」なのである。しかし、これだけの記述からでも、くみとれることはある。農山漁村での葬儀は葬式組の手で行われていたとして、都市での葬儀はすでに当事者の手を離れ、葬儀社の手にゆだねられていたということだ。霊柩車と火葬場が整備された都市の葬儀では、係員の指示に従っていれば、滞りなく式は執行されたのである。
口碑は、普遍化された無意識の慣習に属する事柄といえる。川があって橋がある。それは空間を区切る境界にあたっており、古来より、そこに霊的な力が集中すると信じられた。三途の川などは、あの世とこの世の境にある広く深い川で、渡しがあって鬼が亡者を運んで行くという。橋のたもとには幽霊が現われやすいともいわれていた。あちらの世界からこちらの世界に漂着してくる川岸、橋の下という場所性は、一つのキーワードとなっている。拾ってきた場所としては橋の下、川岸のほかに海辺もある。これらはいずれも水辺の境界地点であることで共通している。母親が子どもをしつけるときに、無意識のうちに口からでてくるせりふであって、親の方はとりたてて子を傷つけるつもりはないにもかかわらず、それを聞いた子どもの心には深いトラウマとして残り、いつまでも伝えられていく。その子が成人して、脳の記憶装置にインプットされているそれがくりかえされて、またその子どもの代に伝えられるという、まことにフォークロアとしてふさわしい言葉なのである。
メールがお得意の人は、ついつい長文になってしまうようだが、ビジネスは時間との勝負。ビジネス文書は「短く簡潔に」が鉄則であり、それはメールにもいえること。文章の量は相手のメールに合わせることも大切。相手が5行で用件を伝えてきたら、あなたもできるだけ同じくらいのボリュームで返信する。また相手が恐ろしく長文でも、無愛想にならない程度に短めにしたメールを返信すれば、たいていの人は短くなる。「当社イチ押しの新製品、○○が登場!」「創業100年を迎えてさらなる前進を目指します」などの企業メッセージが、メール末尾の署名部分に入っていることがある。「☆*☆」など記号を使ってきれいな飾り罫を作っている人もいる。これらはやりすぎなければ、相手に迷惑をかけるものではなく、充分に自分を印象づけるもの。没個性になりがちなメールにオリジナリティを添えることも、今どき有効なアピール方法の一つだ。